平成26年10月11日(土)宝聚寺客殿・庫裏(くり)の落慶式典を執り行いました。「落慶」って少し特殊な言葉ですよね…通常の言葉で言えば「完成記念式典」と言ったところでしょうか…

  客殿自体はすでに26年2月には出来上がって、使い始めていましたが、庫裏(住職の住まい)が出来上がって、私どもが住居を移したのが6月27日でしたので、式典には色々と準備もあることですから、秋の10月に行うことと決めていました。記念品やら、接待の食事やら、そもそもの招待者のリストの作成やら、費用も掛ることでもあるし、なかなか大変なんです。

  式典のメインは声明公演です。自分が所長を務めている天台宗南総教区研修所で昨年、千葉市美術館での「仏像半島展」に際して、一階の鞘堂ホールで声明公演を行いました。これが私たちがやった初めての声明公演だったのですが、とても好評でした。それに調子づいてというか、力を得て…長南町 長福寿寺や南房総市の石堂寺でも声明の法要を行いました。彼らが「所長の所の落慶ならば、ぜひやりましょう!」と言ってくれたので、「四箇法要」という難しいのですが、慶賀の席にはぴったりの格調高い声明を唱えることとしました。

  来賓から祝辞を頂戴して、住職や法類(お寺の親類のような存在)からの謝辞と言うのは落慶式典には欠かせないもので、最後のアトラクションには「四斗樽」の鏡割りです。

  

  予想はされたことですが、とても大変でしたね…地区檀家の方にお願いして交通整理、ずいぶん広い駐車場を用意したんですが、最後には車を停めるスペースが無くなってしまったそうです。正直なところこんなに来て頂けるとは思っていませんでした。

  それから何より、受付が大変なんです。失礼があってはいけないし、御祝儀を頂戴したり、金銭が絡むことでもあります…記念品を手渡すにも同じものならまだしも、数種あるので間違えていけない等々…

  自分は正直、食事をしているどころではなかったし、声明公演中も心配で、落ち着いてお経を拝めるような心境では無かったです。それでも、天候に恵まれて、境内も秋明菊がちょうど花盛りで、大過無く式典を終えることが出来て本当に良かったです。       徳順

 

謹み敬って宝聚寺本尊釈迦牟尼如来、当殿奉安薬師如来を始め奉り、当寺所縁の諸仏諸菩薩、諸天善神に白して曰く、正に今客殿・庫裏落慶の嘉日を迎え、関係諸大徳・檀信徒の随喜の下、教区研修所各位に頼んで「四箇法要」の唄讃を引き、法華普門品を転読し奉る者也。

惟ればそれ、平成十八年入寺せしより早や八旬の春秋を過ぐ。伽藍再興の願を胸に秘めしと雖も、準備遅々として進まず。苦悶の思い朝暮に募り、寤寐にも多く恥ず。

然るに、幸いなるかな、数年来地元山武市の助成を得て、境内裏山の整備に着手、更には機熟して境内墓所宝聚寺霊園を造営すれば、平成廿三年これも見事に完成す。いよいよ、伽藍再興への機運高まりて、昨春より土工事を始め、平成廿五年七月十三日上棟、本日無事落慶の小宴を設ふ。先般舐めし酸味も未だ舌端に遺れば、感慨甚だ深し。

然有れども、先ずは当地における諸縁に感謝し、その暖かき厚情に、新伽藍にて展開せしむべき活動への気力を励ますものなり。者れば、当寺擁護の諸仏・諸天善神も我等が企てし小事を愛しなるらん。

併せて祈る、この微福を以て、当寺檀信徒各家家内安全、先祖各靈証大菩提。殊には本日来臨の各位健康長寿・諸願成辦、乃至法界平等利益。

敬白辞不足、甚深の心情察知されんことを伏して願う。

平成廿六年甲午十月十一日

天台末学徳順敬白

宝聚寺再興への歩み

 

昭和六一年十月濱名徳順宝聚寺住職就任

平成二年収蔵庫(釈迦堂)完成

平成一〇年旧庫裏廃棄

平成十八年五月住職川崎転入

平成十九年山武仏教文化研究会発足第一回山武市社寺特別公開開催

平成二〇年境内・裏山整備着手

平成二二年夏井戸(宝聚泉)掘削

平成二二年四月宝聚寺霊園工事着工

平成二二~二三年度山武市市民提案型まちづくり事業補助金受領

                   裏山整備推進

平成二三年六月 宝聚寺霊園完成

平成二五年春客殿・庫裏建設着工

平成二六年二月客殿完成はとバス来訪

 

平成二六年六月庫裏完成住職入寺